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旧伊香保町地区の指定文化財

伊香保観光ホテル(いかほかんこうほてる)

  • 国登録有形文化財
  • 平成10年9月2日登録

  昭和4年(1929)に外国人向けホテルとして建設されました。

  明治時代から昭和初期にかけて、県内の温泉地には外国人向けのホテルが多く建てられ、居留外国人が利用しました。とくに伊香保には多くありましたが、当時の姿を残しているのはこの建物だけとなりました。木造3階建てで建築面積は1,874平方メートル、建物の上部が五重塔風になっているのが特徴です。

  第二次世界大戦後には占領軍に接収され、米軍の将校保養所として使われたこともありました。

横手館本館東棟・西棟(よこてかんほんかんひがしとう・にしとう)

yokotekan

  • 国登録有形文化財
  • 平成28年8月1日登録

  東棟は木造3階建・鉄板葺で、西棟は木造4階建・鉄板葺の木造建築物です。横手館は旅館業に転じる前は、明治中期まで伊香保の石段街上段でたばこ店を営んでいましたが、明治44年(1911)に現在地に移転しました。大正9年(1920)の旅館街を襲った大火で焼失しましたが、同年に東棟を建築、翌大正10年には西棟も建築(3・4階は昭和初年の増築)されています。時代の変遷により増改築されていますが、今も往事の木造旅館建築の趣を伝えています。

水沢寺六角二重塔(みずさわでらろっかくにじゅうとう)

水沢寺六角二重塔の写真

  • 県指定重要文化財
  • 昭和48年12月24日指定

  この塔は、全国でも数少ない回転軸をもつ六角二重塔です。下層に回転式の内陣をつくり、中央の鉄軸で容易に回転できるようにつくられています。

  こうした手法は、経巻収蔵の輪蔵(りんぞう)を模したもので、意匠全体は禅宗様式に統一されています。

  内陣の六面それぞれに一体ずつ六道地蔵尊をまつっており、六道輪廻(ろくどうりんね)の思想を形にした珍しい建築です。上層には大日如来が安置されています。

  下層の一辺は2.727メートル(9尺)、上層の一辺は1.364メートル(4.5尺)と半減していて、上層柱間が下層柱間の2分の1となる多宝塔の木割に類似し、相輪(そうりん)も多宝塔に似た形式を採っています。

  昭和55年の屋根の葺き替え工事の折、相輪の心柱の墨書に「干時文化一四歳(1817) 丁丑 六月吉辰」の文字が発見されました。なお、地蔵尊像には宝永5年(1708)、正徳2年(1712)、正徳5年(1715)の紀年が記されたものがあります。

湯中子大山祇神社本殿(ゆなかごおおやまづみじんじゃほんでん)

湯中子大山祇神社の本殿の写真

  • 市指定重要文化財
  • 昭和55年9月指定

  一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の見世棚造(みせだなづくり)の小社で、正面に千鳥破風(ちどりはふ)・軒唐破風(のきからはふ)を付加した形式をとっています。

  北関東地方に特徴的な出組斗栱(でぐみときょう)で、妻は通肘木(とおりひじき)を虹梁(こうりょう)型とし、さらに出組斗栱、二重虹梁を架して、大瓶束(たいへいづか)で指棟木を支える形式となっています。唐破風棟木は、向拝上の連三斗組(つれみつどぐみ)、菖蒲桁(しょうぶけた)、虹梁、力士像彫刻で支えられています。随所に彫刻が刻まれ彩色を施されて、地方文化の高さを示しています。

  建造は江戸時代末期と推測され、その後明治44年に改築されています。現在は神明造(しんめいづくり)形式の覆屋(おおいや)に収納されています。

水沢寺阿弥陀如来坐像(みずさわでらあみだにょらいざぞう)

水沢寺阿弥陀如来坐像の写真

  • 市指定重要文化財
  • 昭和52年6月25日指定

  阿弥陀如来坐像の円空仏で、材質は杉です。総高53.0センチメートル、頭部幅13.5センチメートルを測ります。荒削りな一刀彫りですが、木目を巧みに利用して衣文(えもん)のように活かしています。頭は螺髪(らはつ)、かすかに笑みが見られるのは、飛鳥風を模した円空仏の特徴です。

  円空(寛永9年から元禄8年(1632から1695)は、江戸時代前期の行脚僧(あんぎゃそう)で、全国を遍歴しながら円空仏と呼ばれる独特の作風をもった仏像を残しました。生涯に10万体を超す仏像を彫ったといわれ、現在までに約5,000体以上が確認されています。県内では妙義神社や小幡八幡宮などにも残っています。多作ですが1つ1つがとても個性をもっています。

水沢寺木造十一面観音立像(みずさわでらもくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう)

水沢寺木造十一面観音立像の写真

  • 市指定重要文化財
  • 平成28年3月24日指定

  像高105.5センチメートル、内刳りを施さない一木造り(いちぼくづくり)で材は広葉樹(カツラ)と見られ、制作年代は11世紀後半と推定されます。

  顔立ちは円満で穏やかな表情を示し、衣文(えもん)も彫りが浅く形式的に整えられているなど、平安時代後期(11世紀半ば)に仏師定朝によって確立された定朝様(じょうちょうよう)を踏襲しているといえます。一方で、奥行きのある頭部、やや寸の詰まった体型には10世紀の彫像に通じる古様な要素が見られ、地方における定朝様という新しい様式の受容の様相を示す作例といえます。

  天台宗五徳山水沢寺の釈迦堂に安置され、一般公開されています。

経筒(きょうづつ)

経筒の写真

  • 市指定重要有形民俗文化財
  • 昭和52年6月25日

  大河原清一氏宅から明治30年頃出土した、室町時代の経筒です。青銅製の胴部のみで、蓋と底部は失われています。

  「甲午歳玄光五十五 癸巳歳玄堯五十六 応永十五年(1408)戊子四月日」という銘文が刻まれており、文和2年から文和3年(1353から1354)に相次いで死去した玄光・玄堯の二人の供養のために製作されたことが分かります。

  この経筒の中に写経を入れ、供養のために埋納したものと考えられます。

大ガメ及び壺(おおがめおよびつぼ)

大ガメ及び壷の写真

  • 市指定重要文化財
  • 昭和52年6月25日指定

  常滑系陶器の大ガメの中に小形の壺3個と鉄片が入った状態で発見されたもので、鎌倉時代の骨蔵器と考えられます。

  出土地点は水沢寺観音堂の真上の裏山、東南に面した緩い斜面です。場所的に考えて、水沢寺高僧の墓跡と思われますが、他に出土品がないため、断定はできません。

水沢寺仁王門(みずさわでらにおうもん)

水沢寺仁王門の写真

  • 市指定重要文化財
  • 昭和60年5月7日指定

  三間一戸の楼門で、前後に軒唐破風(のきからはふ)をつけ、彫刻と彩色を施した近世建築特有の華麗さを遺憾なく発揮し、均整のとれた美しい楼門です。

  下層部天井には文化6年(1809)に描かれた狩野探雲の絵があります。探雲は甘楽の生まれで、江戸に出て狩野派に学び、晩年は七日市藩の御用絵師を勤め、世に「上野探雲(こうずけたんうん)」と称されました。

  記録によれば、天明7年(1787)に完成したといいます。昭和44年に茅葺を銅板葺に替えています。

水沢寺観音堂(みずさわでらかんのんどう)

水沢寺観音堂の写真

  • 市指定重要文化財
  • 昭和60年5月7日指定

  本尊に十一面観世音をまつる坂東札所観音堂の典型的な様式です。外陣は一間の吹放(ふきはなし)で開放的な平面をもち、脇陣・後陣は参籠(さんろう)できるようになっています。

  正面向拝(こうはい)、軒唐破風(のきからはふ)は近世建築特有の華麗さを表しつつ、全体的には中世建築様式の面影を残した形式を用いています。五間堂として県内でも重要な遺構です。

  記録によれば、仁王門と同じく天明7年(1787)に完成したといいます。昭和35年に茅葺を銅板葺に替えています。

千明元屋敷(ちぎらもとやしき)

千明元屋敷の写真

  • 市指定史跡
  • 昭和55年9月指定

  伊香保温泉が里人の利用の温泉となった初期の宿の跡です。

  天文年間に長尾氏配下の五氏が入部したとき、すでに千明氏が湯元をもち、この地で温泉の支配を行ったと考えられています。

関所跡(せきしょあと)

関所跡の写真

  • 市指定史跡
  • 昭和55年9月指定

  寛永8年(1631)に設けられた伊香保村口留番所(くちどめばんしょ)の跡です。当時は間口5間、奥行3間の約15坪の茅葺屋根の建物があり、周囲に木柵を巡らせ、東西に門扉が設けられていました。関所番役人は伊香保の大屋(年番)2名、下番2名の計4名が勤めていました。

  建物などは復元されたものですが、門柱の礎石は当時のもので、この場所から発見されたものです。

  江戸時代になると伊香保の湯治は流行となり、各地からさまざまな人が訪れるようになりました。往来者の増加に伴い、三国街道の裏往還にあたるこの地にも番所を置いたのです。婦女子の浴客もここで取り締まりを受けました。

ハワイ王国公使別邸(はわいおうこくこうしべってい)

ハワイ王国公使別邸の写真

  • 市指定史跡
  • 昭和60年10月1日指定

  この建物は、ハワイ州が独立国であった当時(明治26年まで(1893))の日本駐在弁理公使ロバート・ウォーカー・アルウィンが所有し、別邸として使用していたものです。日本に残る独立国当時のハワイと伊香保との交流を示す数少ない建物です。

  ハワイでは19世紀中頃からサトウキビ栽培の盛行によって労働力不足となりました。明治4年(1871)に日本との間に和親通商条約が結ばれたことを受け、明治18年から日本人のハワイ移民が始まります。両国間の渡航条約に基づいたため「官約移民」と呼ばれ、10年間で約3万人の移民を送り出しました。この移民事業の実現に尽力したのが、アルウィンだったのです。

  また、彼は日本政府が認めた正式な国際結婚の第1号でもあります。日本人女性と結ばれ、子どもに恵まれたアルウィンは、家族の健康と避暑のため別荘を探していました。井上馨の紹介で伊香保を訪れた彼はこの地をとても気に入り、東京の料亭「紅葉館」伊香保出張所の建物を別荘として明治24年に購入し、大正14年(1925)に亡くなるまで、毎年夏になると伊香保で過ごしました。

  当時の別邸は建坪90坪に及ぶものでしたが、現在残っているのは北西隅にあった離れの一部です。昭和60年に保存のため曳き家移転されましたが、もとあった跡地を市が取得して平成23年から平成24年に移築修理を行いました。    現在、敷地内にガイダンス施設を設置し、関係資料を多数展示しています。

湯中子大山祇神社の大杉(ゆなかごおおやまづみじんじゃのおおすぎ)

湯中子大山祗神社の大杉の写真

  • 市指定天然記念物
  • 昭和55年9月指定

  参道入口の両側に立つ大杉です。2本とも樹齢約700年を超えるものと思われます。

  北側の木は目通り周4.39メートル、樹高37.5メートル、南側の木は目通り周3.83メートル、樹高37.0メートルを測ります。

大かやの木(おおかやのき)

大かやの木の写真

  • 市指定天然記念物
  • 昭和55年9月指定

  通称「七福かやの木」と言われています。

  樹齢約800年の巨木で、地表から1メートルの所で7本に枝分かれしています。

水沢の観音杉(みずさわのかんのんすぎ)

水沢の観音杉の写真

  • 市指定天然記念物
  • 昭和55年9月指定

  水沢寺の境内隅にあり、目通り周5.14メートル、樹高38メートルを測る巨木で、樹齢約700年と推定されます。

湯元呑湯道標(ゆもとのみゆどうひょう)

湯元呑湯道標の写真

  • 市指定史跡
  • 昭和55年9月指定

  明治期のドイツ人医師であるベルツ博士の指導によって飲泉療法が盛んになり、呑湯所も設置されたと考えられています。

  この道標は、浴客にとって不案内な土地での道案内にと、明治23年(1890)に建てられました。行き先を方面ではなく、呑湯という1カ所だけで示す道標は珍しいものです。

  正面に、「右 榛名山 二ッ嶽道 左 湯元 呑湯」、右側面に「明治二十三年五月二十八日 高崎相生町 粕川 龍蔵 建之」と刻んであります。

温泉関係古文書(おんせんかんけいこもんじょ)

温泉関係古文書の写真

  • 市指定重要有形民俗文化財
  • 昭和52年6月25日指定

  伊香保温泉は源泉から各旅館等へ分湯していますが、その分湯方式を決めた約状です。江戸時代のものとされています。

伊香保温泉道中絵巻(いかほおんせんどうちゅうえまき)

伊香保温泉道中絵巻の写真

  • 市指定重要文化財
  • 昭和60年3月6日指定

  江戸時代における道中風俗、温泉風景等が描かれた彩色道中絵巻で、県内唯一のものと思われます。高崎付近から伊香保までの図が描かれています。

伊香保祭囃子(いかほまつりばやし)

伊香保祭囃子の写真

  • 市指定重要無形民俗文化財
  • 平成18年2月14日指定

  明治時代の末、伊香保に住み込みで働いていた高崎の菓子職人が囃子「高崎柳川町」を子どもたちや青年に教えたのがはじめで、約100年の歴史の中で現在の伊香保囃子に変化しました。

  現在、「伊香保屋台」「追馬」「鎌倉」の3曲が継承されています。毎年9月19日の伊香保神社の例祭に奉納されています。


掲載日 平成27年8月29日 更新日 令和6年3月15日
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