旧小野上村地区の指定文化財
八木沢清水縄文時代住居跡(やぎさわしみずじょうもんじだいじゅうきょあと)
- 県指定史跡
- 昭和58年2月22日指定
小野子山と子持山が裾野を接する標高約460メートルの丘陵に位置し、昭和51年に養魚池の掘削工事に伴って発掘調査が行われ、縄文時代の竪穴住居1棟のほか、土坑2基、陥穴(おとしあな)1基などが発見されました。
中でも竪穴住居跡は、群馬県で初めての撚糸文(よりいともん)土器段階の調査例となりました。住居跡は直径4.5メートル×5メートルのややいびつな円形で、柱穴はありますが、住居内部に炉はつくられていません。この時期には まだ住居の中で火をたくことが習慣化していなかったようです。撚糸文土器のほかに中部地方に多く分布する押型文(おしがたもん)土器も出土しています。
飯塚大学石堂(いいづかだいがくせきどう)
- 市指定重要文化財
- 昭和51年5月24日指定
長尾家の家臣だった飯塚大学が寛正(かんしょう)5年(1464)11月1日に没した後、その一統によって、天文17年(1548)に建立された供養石堂です。石堂の高さは141センチメートル、幅が88センチメートルと大きく、前面に刻まれた唐草文様、竪連子(たてれんじ)、幾何学的文様など、その技法は優れています。小野上地区の石堂としては最古のものです。
中尾観音板碑(なかおかんのんいたび)
- 市指定重要文化財
- 昭和51年5月24日指定
貞治(じょうじ)3年(1364)の造立で、高さ133センチメートル、幅50センチメートルを測ります。秩父緑泥片岩(りょくでいへんがん)の平石で、表面に梵字(ぼんじ)で阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩(せいしぼさつ)の三尊が刻まれています。三尊の下には蓮台があり、阿弥陀如来には金色が、他の刻字には朱色が施されています。その下段の左右には光明真言(こうみょうしんごん)の梵字が12字ずつ、中央には造立年月と観阿弥逆修と記されています。
岩井堂観世音御堂(いわいどうかんぜおんみどう)
- 市指定重要文化財
- 昭和51年5月24日指定
御堂は岩窟を利用した懸崖造(けんがいづくり)の建物で、高いはしごを上って参詣します。延久5年(1073)に岩井堂城主山田太郎為村が創建したと伝えられ、その後、守護の藤原季長(すえなが)が観応の頃(1350年頃)に再興したといいます。天正年間の兵火で焼失し、享保年間(享保元年から享保20年(1716年から1735年))に再建されました。
本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)の石像で、かつては吾妻観音札所の第一番として信仰を集めました。4月には祭典が行われ、近郷からの参詣者が多数訪れます。
中尾獅子舞(なかおししまい)
- 市指定重要無形民俗文化財
- 昭和51年5月24日指定
村上の作間(さくま)神社の獅子舞で、起源は宝永7年(1710)頃にさかのぼると言われています。流派は宝眼流(ほうがんりゅう)に属し、作間神社のほか地元の金刀比羅神社・浅間神社にも奉納してきました。
一時中断していましたが、昭和28年頃に再興し、昭和48年には中尾獅子舞保存会を結成し、今日に至っています。明治神宮・靖国神社・浅草寺などへ奉納したこともあります。現在は、11月23日に作間神社へ奉納するほか、小野上温泉まつりに出演しています。
上小野子獅子舞(かみおのこししまい)
- 市指定重要無形民俗文化財
- 昭和51年5月24日指定
小野子の元禄獅子と呼ばれています。元禄の頃、五郎兵衛と善助という二人が獅子頭奉納の悲願を立て、苦心のすえ元禄2年(1689)にようやく完成しました。当時、沢頭の佐藤八郎右衛門が協力して獅子組を結成し、以来、如意庵七社大明神、三田野七社大明神、金善寺七社大明神、落釜(おちがま)神明宮に奉納してきました。
明治40年(1907)に火災で道具一切を焼失、しばらく中断していましたが、昭和10年に再興されました。現在では、上小野子獅子舞保存会が4月第1日曜日に七社神社をはじめ各所分神七社神社への奉納を行っています。
村上太々神楽(むらかみだいだいかぐら)
- 市指定重要無形民俗文化財
- 昭和51年5月24日指定
享保4年(1719)作間(さくま)神社が焼失し、社殿を新築した祝典に太々神楽を奉納したのが始まりといわれています。
明治時代に中断しましたが、終戦後復活の気運が盛り上がり、仮衣装で舞っていました。昭和28年(1953)に衣装・道具一式を新調し、作間神社太々神楽奉仕会が発足しました。
現在では村上太々神楽保存会を中心に作間神社の秋の祭礼(11月23日)のほか、小野上地区文化フェスティバル等の出演を通して地域振興、伝統芸能の保存に努めています。
かに石おう穴(かにいしおうけつ)
- 市指定天然記念物
- 昭和49年8月21日指定
小野上総合支所南の吾妻川河岸、かに石公園内に大きな安山岩があります。昔は川床にあった岩盤で、種々の浸食のあとが見られます。
その中で特に大きく深いへこみが、甌穴(おうけつ)です。岩盤が大昔川床にあったとき、小さな凹みや軟らかなところが浸食されて、凹みが大きくなります。そうすると凹みに渦流が生じ、流れてきた小石などを取り込んで浸食作用が一層増して、凹みがさらに成長していきます。こうして長い年月をかけて、この甌穴はできあがりました。
穴の直径は80センチメートル、深さ130センチメートルで、渦巻状をしているのが特徴です。
湯前薬師石堂(ゆまえやくしせきどう)
(注意)指定文化財ではありません
旧小野上村大字村上字塩川地内、国道353号線沿いに古来より温泉が湧出し、その源泉地にこの石堂があり、寛文4年(1664年)に塩川村の人たちによって創建されました。
旧小野上村商工会のむらおこし事業で、現在の小野上温泉センター前に移築されました。
飲泉所(いんせんじょ)
(注意)指定文化財ではありません
小野上温泉センターの前にあり、どなたでもご利用できます。
飲泉の注意
禁忌症:腎臓病、高血圧症、動脈硬化症、その他一般にむくみのあるもの
適応症:慢性消化器病、慢性便秘
用法
源泉を2倍に希釈(水を加えてうすめる)し、食後30分ないし1時間後の飲用がよい。
(注意)直後に、お茶、コーヒーなどを飲まないこと。
(注意)夕食後から就寝前の飲用を避けること。
用量(1日の摂取量)
- 大人(15歳以上) 300cc以下
- 14歳から8歳 150cc以下
- 7歳から5歳 100cc以下
- 4歳から3歳 50cc以下
- 2歳以下 30cc以下
(補足)1回の摂取量は100ccを限度とする。
(補足)1日の摂取回数は3回程度とする。
(補足)高血圧の方は塩分が多いため十分希釈(水を加えてうすめる)する。
伊久保百番様(いくぼひゃくばんさま)
(注意)指定文化財ではありません
小野上駅の東北、伊久保道を上がること約1.5キロメートルほどの山麓に、かつて吾妻観音霊場第1番札所として巡拝者で賑わった伊久保観音があります。
この観音堂東北に東南向きに前面の開けた洞窟があり、ここに30センチメートル位の舟形の石造観音像が百体余りまつられていて、百番様と呼ばれています。