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徳冨蘆花記念文学館

徳冨蘆花終えんと記念館の写真

お知らせ

蘆花先生の命日

本日9月18日は、蘆花先生の命日です。

この日は、蘆花先生を追悼する追悼茶会が4年ぶりに開かれました。

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この日にあわせたように咲いた白いホトトギスをお供えし、蘆花先生を偲びました。

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この日はとても良い天気でした。

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また、9月18日から20日は伊香保まつりです。当館も入り口に提灯や紅白幕を設置しました。

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(令和5年9月18日撮影)

令和5年度企画展「日清戦争の錦絵展」

8月1日(火曜日)から9月25日(月曜日)までの期間で企画展「日清戦争の錦絵展」を開催しています。

日清戦争錦絵は、戦争中の明治27年から28年にかけて出版された多色刷りの版画で、3枚1組のものを1作品としたものが定番で、当時300作品余りが出版されたといわれています。

錦絵展

 

なお、蘆花先生の代表作「不如帰」において、日清戦争が描かれています。主人公武男が奮闘するシーンは、次のように描写されています。

 

明治二十七年九月十六日午後五時、わが連合艦隊は戦闘準備を整えて大同江口を発し、西北に向かいて進みぬ。あたかも運送船を護して鴨緑江口付近にみえしという敵の艦隊を尋ねいだして、雌雄を一戦に決せんとするなり。

吉野を旗艦として、高千穂、浪速、秋津洲の第一遊撃隊、先鋒として前にあり。松島を旗艦として千代田、厳島、橋立、比叡、扶桑の本隊これに続ぎ、砲艦赤城及び軍見物と称する軍令部長を載せし西京丸またその後ろにしたがいつ。十二隻の艨艟一縦列をなして、午後五時大同江口を離れ、伸びつ縮みつ竜のごとく黄海の潮を巻いて進みぬ。やがて日は海に入りて、陰暦八月十七日の月東にさし上り、船は金波銀波をさざめかして月色のうちをはしる。

(中略)

夜十時点検終わり、差し当たる職務なきは臥し、余はそれぞれ方面の勤めに就き、声高火光を禁じたれば、上甲板も下甲板も寂としてさながら人なきようになりぬ。舵手に令する航海長の声のうつがごとく小止みなき機関の響きの艦内に満てるのみ。

月影白き前艦橋に、二個の人影あり。その一は艦橋の左端に凝立して動かず。一は靴音静かに、墨より黒き影を引きつつ、五歩にして止まり、十歩にして返る。

こは川島武男なり。この艦の○番分隊士として、当直の航海長とともに、副直の四時間を艦橋に立てるなり。

(中略)

月落ち、夜は紫に曙けて、九月十七日となりぬ。午前六時を過ぐるころ、艦隊はすでに海洋島の近くに進みて、まず砲艦赤城を島の彖登湾に遣わして敵の有無を探らしめしが、湾内むなしと帰り報じつ。艦隊さらに進航を続けて、大、小鹿島を斜めに見つつ大孤山沖にかかりぬ。

午前十一時武男は要ありて行きし士官公室を出でてまさに艙口にかからんとする時、上甲板に声ありて

「見えたッ!」

同時に靴音の忙わしく走せ違うを聞きつ。心臓の鼓動とともに、艙梯に踏みかけたる足ははたと止まりぬ。あたかも梯下を通りかかりし一人の水兵も、ふッと立ち止まりて武男と顔見合わしたり。

(中略)

左右より挟撃せられて、敵の艦隊はくずれ立ちたり。超勇はすでにまっ先に火を帯びて沈み、揚威はとくすでに大破して逃れ、致遠また没せんとし、定遠火起こり、来遠また火災に苦しむ。こらえ兼ねし敵艦隊はついに定遠鎮遠を残して、ことごとくちりぢりに逃げ出しぬ。わが先鋒隊はすかさずそのあとを追いぬ。本隊五艦は残れる定遠鎮遠を撃たんとす。

第四回の戦い始まりぬ。

(中略)

「うてッ!」武男も声ふり絞りぬ。

歯をくいしばりたる砲員は憤然として勢い猛く連べ放ちに打ち出しぬ。

「も一つ!」

武男が叫びし声と同時に、霹靂満艦を振動して、砲台内に噴火山の破裂するよと思うその時おそく、雨のごとく飛び散る物にうたれて、武男はどうと倒れぬ。

敵艦の発ち出したる三十サンチの大榴弾二個、あたかも砲台のまん中を貫いて破裂せしなり。

「残念ッ!」

叫びつつはね起きたる武男は、また尻居にどうと倒れぬ。

 

戦闘の激しさを迫力の描写で表現しています。武男の運命やいかに!?

 

7月の文学館

大正4年、蘆花先生は、奥様と共に「黒い目と茶色の目」を書き上げました。
この際、奥様は無理がたたり大病を患ってしまい、約10か月もの間、闘病していました。そんなときに主治医から療養に伊香保を薦められたのです。
6月末から7月末までの間、初めての伊香保での夏を過ごした蘆花先生は、その時のことを次のように記しています。これが伊香保5度目の逗留となりました。


「雷はお嫌いですか。」と禪僧の問答見たやうに問ひかけました。「左様。別に好きでもありません。」と私は答へました。「尤も好きな人もいないでせうが」と博士は笑ふて、雷が夏はひどいが病後の静養は伊香保が好からうと勸めてくれたのでした。
願ったり叶ったりです。退院の翌々日、私は妻と、最初から一人で看護してくれた順天堂病院の小山かく子さん、及女中二人を連れて、五度目で伊香保に行きました。而して昨秋居た二の段の別荘に入りました。去年私の肥滿に驚いた主婦は、今幽靈のやうな妻の病上がりを見るなり、「まあお瘠せ遊ばして」と泣き聲になりました。
仁泉は少しづゝ病後の妻に肉と力をつけました。小山さんは三日にあけず妻を帳場の計量器に連れて往つては、少しづゝ殖ゆる目方を嬉しがったり、もどかしがつたりするのでした。帳場の二階には、自動車の怪我あとの静養に來て居るピアニストのK嬢の浴衣姿も見えました。

吾妻博士が嚇かした雷は、毎日の様に鳴りました。伊香保に五度來ても、夏はこれが初めてなので、久しく音に聞いて居た雷様とも今度と云ふ今度やつとお近付きになることが出來ました。全く伊香保の雷は名物です。明治がまだ十代で居た頃、一夏伊香保に行啓があつた英照皇太后も驚きになつて、「伊香保は雷がひどうて」と毎々御沙汰があつたさうです。伊香保を愛するは私共人の子ばかりかと思ふたら、雷様も伊香保が大お好きなのでした。鉄分の多い温泉の沸く此山には、雷を牽きつける力が籠つて居るのでせう。随分良い天氣で、氷を取り寄せる暑い日が、嘘の様にかき曇って、小野子子持が世の終りの審判の日の書き割りでもありそうな、いやな凄い金灰色になつてきます。吾妻川の上流、草津の方角で、遠寄せの太鼓がそろゝ鳴り出します。五分も立たぬ内に、ごろゝ、ざあ、ぴかり、ぴしやり、ぱちり、大どろゝになります。寝そべつて、小山さんが讀む探偵小説など澄まして聞いては居ても、決して好い氣もちはしません。一度は、あッと思いました。正に頭上と思つたのでしたが、それでも直徑にして一丁はある杉森に落ちたのでした。後で往つてみると、三尺周の杉が反面さゝらにされ、雷様手製の焚つけを子供が四五人で拾ふているのでした。雷と利根の鮎は、伊香保の夏の名物です。

 

蘆花先生が過ごした夏は、それは激しい雷のようでした。現在の伊香保も、梅雨が明けた時期から雷や夕立が発生します。雷がお好きな人はいらっしゃらないかもしれませんが、この夏、伊香保にお越しの際に雷様に遭遇した際は、蘆花先生の気持ちを味わっていただけるかもしれません。


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(7月に入り、竹の灯りが花火になりました)

 

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(記念館前)

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(ホトトギスが大きく育っています。)

 

6月の文学館

梅雨に入り、今日(令和5年6月9日)は小雨がちらつく天気ですが、苔にとっては良い天気のようで、緑が映えてとてもきれいです。

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(文学館の庭園)

記念館前のホトトギスもすくすくと育っています。

ツツジやヤマボウシもきれいな花を咲かせています。

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(記念館前:ツツジがきれいです。)

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(ホトトギス:すくすく育っています。)

(令和5年6月9日撮影)

5月の文学館

文学館から見える景色は、緑が多く、とてもきれいな季節になりました。

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(文学館の庭園)

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(記念館前)

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(記念館前のホトトギスも大きくなってきました。)

 

蘆花夫妻が初めて伊香保に訪れた時期は、ちょうど今の季節と同じ頃の、明治31年5月5日、第5回の結婚記念日を過ごした後でした。その際、蘆花先生は「新春」の「春の山」に次のとおり記しています。

『赤城と子持と小野子の間からちよいちよい頭を出して居る男體白根から越後信州境の遠山の残んの雪の美しさ、吾妻川の谷から起る雲霧の面白さ、落葉松の芽出しの美しさ、總じて若葉の色の鮮やかさ、水澤道の蕨野の好さ、榛名湖畔の紅がかつた彼櫻の美しさ、山女や生椎蕈の甘さ。私は伊香保がしみゞ好きになりました。』

初夏の今は、ツツジも見頃になってきています。ご来館の際は、景色もゆっくりとご覧になってください。

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(記念館から見える景色)

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(文学館から見える景色)

(令和5年5月10日撮影)

 

お知らせのバックナンバーについて

最新のお知らせを、上記に表示しています。これまでの記事は、下記のリンクからご確認ください。

徳冨蘆花記念文学館からのお知らせのバックナンバーは、こちらをクリックしてください。

施設の概要

  小説「不如帰(ほととぎす)」で有名な明治の文豪、徳冨蘆花は自然豊かな伊香保を気に入り、何度も足を運びました。徳冨蘆花記念文学館では、蘆花が定宿としていた旅館の離れを移築・復元し、記念館として公開しています。

  ほかに、当時の「写真や書簡、遺品、文学作品など蘆花に関する様々な資料を揃えた展示館もあり、豊富な展示資料からは蘆花の生い立ちや、時代背景についても触れることができます。

利用案内

開館時間

  • 8時30分から17時00分(入館は16時30分まで)

観覧料

  • 一般大人350円、小中高校生200円
  • 団体(20名以上)大人300円、小中高校生150円

    ただし、障がい者手帳等をお持ちの方と付き添いの方1名まで無料です。

休館日

年末休館

  • 12月25日から29日まで

メンテナンス休館

  • 令和5年6月16日(金曜日)
  • 令和5年7月7日(金曜日)
  • 令和6年1月26日(金曜日)

写真紹介

写真:常設展示室

常設展示室

写真:企画展示室

企画展示室

写真:記念館玄関

記念館玄関

写真:記念館終えんの部屋

蘆花終えんの部屋

写真:喫茶コーナー

喫茶コーナー

イベント情報

企画展

紙芝居展

  • 日程:令和5年5月1日(月曜日)から7月28日(金曜日)

錦絵展

  • 日程:令和5年8月1日(火曜日)から9月25日(月曜日)

夢見る女性誌展

  • 日程:令和5年10月1日(日曜日)から11月24日(金曜日)

双六展

  • 日程:令和5年12月1日(金曜日)から令和6年1月26日(金曜日)

渋川の碑めぐり展

  • 日程:令和6年2月1日(木曜日)から2月26日(月曜日)

浮世絵展

  • 日程:令和6年3月1日(金曜日)から4月28日(日曜日)

追悼お茶会

  蘆花を偲び、月命日に林宗静社中「静翠会」による追悼茶会を開催します。

日程

  • 令和5年6月18日(日曜日)10時から15時まで
  • 令和5年11月18日(土曜日)10時から15時まで

金額

  • お一人さま500円

お問い合わせ先

徳冨蘆花記念文学館

所在地 群馬県渋川市伊香保町伊香保614番地8

電話番号 0279-72-2237

ファクス番号 0279-72-2237(電話番号と共通)

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掲載日 令和5年9月18日 更新日 令和5年9月20日
このページについてのお問い合わせ先
お問い合わせ先:
教育部 徳冨蘆花記念文学館
住所:
〒377-0102 群馬県渋川市伊香保町伊香保614番地8
電話:
0279-72-2237
FAX:
0279-72-2237
(メールフォームが開きます)

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