渋川を愛する気持ちが自分自身を元気にする!
山好きシンガーソングライターの幸せな日常風景。
30年以上暮らした東京を離れ、故郷渋川市への移住を決断したヤーコさん。今は、渋川市の自然に自身が癒しを得ながら、新旧の仲間たちと積極的につながり、渋川市の魅力を広く伝え、渋川市での暮らしをもっと楽しくする活動に意欲的に取り組んでいます。ヤーコさんの心をとらえた渋川市の魅力とは?
30年以上暮らした東京を離れて、Uターン移住
私は、渋川市の自然と歴史を愛し、その魅力を伝えるオリジナル楽曲を製作しながら、演奏活動を行っているシンガーソングライターです。2020年に30年以上暮らした東京を離れて故郷である渋川市に戻り、新たに出会った仲間たちとイベントなどを企画して演奏することを主軸にしながら、アロマリラ(アロマを使ってリラックスを与える施術)やトウリーディング(足の指から人生の歩みを読み解き心身を癒す手法)も加えた活動を「ヤーコテラピー」と名付けて展開しています。
地元渋川市の高校を卒業後、地元の専門学校に進み、地元の会社に就職した私ですが、幼い頃からの父の歌の影響と、兄の聴くアコースティック音楽に強く惹かれ、10代のころは早く都内に出て活動を始めたいと、そればかりを考えていました。
就職して1年後に、運よく東京事務所への転勤を打診され、迷わず都内へと移住。その後すぐに音響機材販売会社に転職を果たし、Pro Toolsという、現在も音楽業界における標準機器となっている機材の販売に携わりながら、自由が丘や目黒を拠点に自身の音楽活動を続ける日々を送ってきました。
2019年には、自身の音楽活動を極めたいという想いが募り、長年勤めた会社を退職して制作活動に専念するようになりましたが、コロナ禍によって活動を大きく制限せざるを得なくなり、このままコロナの収束まで何もできずに都内にいるよりはと、2020年に地元の渋川市に戻る決断をしました。
背中を押してくれた、地元の魅力ある仲間たち
東京に出るまでは、渋川市の自然のことなどまったく意識していなかった私ですが、20代後半で登山の魅力に開眼してからは、渋川市が、いかに豊かな自然に恵まれた場所であるかに気づき、地元によく帰省するようになっていました。それでもやはり、完全に東京を離れ、渋川市への定住を決断することはとても勇気がいりました。都内で親しくしていた音楽仲間と離れることがすごく寂しく感じられたんですね。最終的には、すでに会社を辞めてしまっていたので、経済的な面で立ち行かなくなったことも帰省を決断する理由の一つとなったのですが、住む場所は離れていてもSNSで都内の仲間と密につながれると実感できたこと、そして、都内の仲間に勝るとも劣らない個性と魅力を持つ渋川市の音楽仲間たちの存在が、Uターンに向けて私の背中を強く押してくれました。
NPOの活動に参加し、メンバーの深い地元愛に感銘する
帰省して2年になりますが、今は戻って本当によかったと心から思っています。理由はいくつかありますが、ひとつ挙げるとすれば、この雄大な自然の中での暮らしがもたらす幸福感、充足感に尽きます。目にするたびに心奪われる景色が、身近にいくつもあるんです。私の実家のすぐそばにある「黒井峯遺跡」のほか、「行幸田の蕎麦畑」「中村緑地公園」「棚下不動」「小野上の棚田」など、挙げればきりがありません。もちろん、渋川市でのさまざまな人々とのつながりも私の毎日に彩りを与えてくれています。両親のそばにいられる安心感、気の置けない旧友たちとの再会・交流は、気負わずに素の自分でいられる心地よさを私に与えてくれますし、新しい出会いによって新鮮な刺激もたくさん得ています。
渋川市に戻ってすぐ、私は「NPO法人渋川広域ものづくり協議会」に入会したのですが、ここで活動する方々の地元愛、渋川愛の大きさには本当に影響を受けました。
この団体は、渋川市を緑と花のまちにすることを目標に活動していて、とくに、中村の国道17号線中央分離帯に植えられた約8千株のアナベル(白いあじさい/あじさいは渋川市の市の花)の維持管理で知られます。白い花が中央分離帯に一斉に咲き乱れる様は長年地域の名物となってきました(今後、大規模な工事のために中央分離帯が撤去されることが決まり、アナベルは別の地に移植される予定)。私も手入れに参加させてもらっていますが、白いアナベルの株の中に分け入り花に埋もれるようにして作業するとき、なんともいえない幸福感を味わうことができます。
もうひとつ、「渋川まちサポ(渋川市中心市街地まちづくり市民サポーター)」にも所属していまして、こちらでは、昭和の歌声喫茶でうたわれていたような曲を皆で歌う「渋川まちなかうたごえサロン」などを代表に、まちの人たちを元気にするための活動を行っています。ときどき私も出演させてもらっていますが、先日駅前ライブで演奏したところ、聞いている皆さんが楽しそうに踊り始めて、演奏しながらとても幸せな気持ちになりました。
実家のすぐ近くにある特別な場所、「黒井峯遺跡」
こういった渋川市での活動に参加するうち、私自身も、自分の得意なことで人とつながり、渋川市をさらに元気に、楽しい場所にしていきたい!と考えるようになりました。とくに私は実家のすぐそばにある「黒井峯遺跡」の存在に魅了されていまして、「黒井峯遺跡」の魅力をひとりでも多くの人に伝える活動をしたいという、ちょっと使命感にも似た想いを抱くようになったのです。
「黒井峯遺跡」は、子持山の麓にある東西約700メートル・南北400メートルに及ぶ広大な古墳後期時代の集落遺跡です。今から1500年ほど前、榛名山二ツ岳の大噴火により大量の軽石が噴出し、ほぼ瞬時にして周辺のすべてが埋没してしまい、現在も足元の大地の2メートル下に当時の人々の暮らしの瞬間がそのままの形で眠っているという、国指定の史跡です。
地上は見渡す限りの草原となっていて、周囲には子持山、赤城山、榛名山は水沢山や二ツ岳、小野子山など渋川市をぐるりと取り囲む山々の美しい稜線を眺めることができます。その山々の間から登る朝日や沈んでいく夕日の美しさといったら!毎日眺めていても、日ごとに異なる感動が押し寄せます。私だけでなく、近隣に住む多くの人が、日々変化する日の出や日の入りの光景に毎日心を動かされている──こんな素晴らしい体験を日常的にできる土地は日本中探してもそうはないだろう、と思います。
大好きな仲間たちと実現させた「黒井峯夕音フェス」
2022年の9月11日、念願かなって、この黒井峯遺跡を舞台に「黒井峯夕音フェス」を開催することができました。フェスは、渋川市に歴史を感じることのできる癒しの丘があることを知っていただき、皆さまにも訪れていただきたいという思いで企画しました。プログラムとしては黒井峯遺跡の歴史紹介、黒井峯遺跡と渋川市の魅力紹介、黒井峯遺跡大好きミュージシャンたちによる演奏、音遊びや笑いヨガ、黒井峯遺跡ファンによる写真の展示、そして黒井峯遺跡に沈む大きな夕日の鑑賞。
集まってくださった皆さんと一緒に歌ったり、手を叩いたり、笑ったり、黒井峯の大地からのエネルギーを足から吸い上げるように深呼吸したり、気持ちよく体を揺らして大自然の中で心を開放しました。
シンガーソングライターヤーコとしてはUターン後に作った「黒井峯遺跡のうた」の披露や、「カントリーロード」という曲の黒井峯遺跡替え歌バージョンを作って出演者みんなで歌いました。そして日没の頃には見事な夕日がイベントを飾ってくれまして、黒井峯遺跡の魅力を共有することができました。
渋川市地域おこし協力隊の長沼未希さんや渋川市移住定住サポーターの古内岳好さんを始め、Uターン後に知り合ったかけがえない仲間たち、そして小中学校の同級生のサポートを得て実現した、この「黒井峯夕音フェス」。私にとってはひとつの夢がかなったような、忘れがたい一日となりました。
これからも、大好きな仲間たちと一緒に渋川ならではのイベントを企画し、愛する渋川市の魅力を多くの人に伝え、渋川市での暮らしがよりいっそう楽しくなるような、人と人が繋がる活動をたくさんしていきたいと思っています。
writer:笠井峰子、取材:2022年7月
Profile
ヤーコ(七五三木安英)さん
東京で音楽制作機材販売会社に勤務しながら、楽曲制作、シンガーソングライターとしての活動を30年近く続ける。2015年には自主制作CDを発表。2020年6月に渋川市にUターン移住。
現在は、故郷で音楽活動(地元をPRする曲の制作と演奏)を主軸としながら、アロマなどを用いて癒しと元気を届ける「ヤーコテラピー」事業を展開中。
掲載日 令和4年10月20日
更新日 令和6年1月18日
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