故郷での心ときめく体験を多くの子どもたちに。
脱サラ・ハーブ栽培農家が貫く無償の渋川愛。
約20年に渡るサラリーマン生活を送ったあと、地元渋川市で農業法人「森の香」を立ち上げ、ハーブの無農薬栽培とそれを原料とする加工品の製造を始めた荒井良明さん。渋川市の新たな名産品を生み出しながら、より賑わいのある楽しい街づくりを目指したイベント創出にも精力的に取り組んでいます。
埼玉のIT関連会社に11年勤めた後に、Uターン移住
僕は、生まれ育った渋川市赤城町で、2018年に農業法人・株式会社森の香(もりのか)を立ち上げ、恵まれたこの地の自然を生かして約35種類のハーブを無農薬で栽培し、ハーブティーや調味料などの加工品の生産を行っています。10代のころは理数系の勉強が得意で、高校は普通高校ではなく高専に進みました。20歳で卒業した後は、恩師の紹介で埼玉県のIT関連会社に就職し、カーナビやカーラジオのソフトウェアエンジニアとして11年間を過ごしました。会社ではそれなりに責任のあるポジションに就くことができ、仕事に邁進しながら埼玉での生活を楽しんでいました。
渋川市に戻ることを決めたのは、いくつかの理由が重なったからです。いちばん大きかったのは、実家を建て替えたことでした。29歳のときに父親とともに家のローンを組むことになりまして、それによって自分の気持ちが地元に大きく向かうようになったと思います。
同じころ、同じ渋川市赤城町出身の妻と結婚をしました。なので、家を新築してからは渋川市に住んで、埼玉の会社まで新幹線通勤をしていた時期もありました。それはそれで悪くない生活でしたが、数年後には仕事で海外駐在となる可能性が大きくなったため、子育てのことなどを考えて、31歳で渋川市に戻る決心を固めました。
Uターン後は、農産物の直売や農業資材の販売を行う地元企業に、ネットワークエンジニアとして就職しました。同じIT系でも前の仕事とは分野が違うのですが、それまでに身に着けた知識で業務に取り組み、やがて社長のもとで、徐々に経営企画の上のほうのポジションまで任せてもらえるようになりました。
扱う商品が農業関連でしたので、農業についても学ぶことができましたし、経営企画部で厳しくしごかれながらも経営の基礎的な知識を徹底的に叩き込まれたことは、幸運だったと思います。この期間に渋川市での暮らしのペースを整えられたことも、その後に向けたよい助走となりました。
週末農業の難しさへの気づきが、就農を後押し
農業に就くことは、渋川市にUターンしてから心のどこかで意識してはいました。というのも、僕の実家も妻の実家も兼業農家で畑をいくつか持っていたのですが、両親も親戚も歳を重ねたため、整備しきれなくなっていたからです。僕や妻が土日の休みを利用して管理を試みて、いずれ歳を重ねたころに農業ができればなどと漠然と思い描いていましたが、実際には会社の仕事も忙しく、週末だけで畑を整備することは困難でした。歳を取って体が動かなくなってから農家として生計を組み立てるのは厳しいと実感し、なるべく早く就農に舵をきるほうがいいという考えが自分の中で次第に固まっていきました。切りのよいタイミングで8年間勤めた会社を辞め、僕は38歳で農業法人「森の香」を興し、独立を果たしました。
ハーブ栽培は順調に進むものの、開始1年は販売に苦心
赤城町のこの周辺は山が続いていて、日当たりがあまりよくありません。勾配も急で、大きな機械を入れて作物をつくることには向いていないんです。新参農家が安定的に事業の拡大を目指すためには、先行している農家さんたちが使いきれずにいる、小さな畑で育つ作物を選定すれば、と考えました。そうすれば、土地を貸したいという需要もあるだろうと。それで行きついたのが、ハーブです。ハーブは基本的に丈夫ですし、100種類以上あるので、いろいろな条件に対応することが可能です。加えて、僕はサラリーマン生活が長かったので、なるべく月々安定した収入が欲しかったんですね。ハーブなら、ドライの状態にしてストックしておき、いろいろな加工品に展開することができるという利点がありました。
実際、ハーブの栽培はそれなりに順調に進みました。ただし、加工して販売することは、思ったよりもずっと大変でした。特に最初の1年目はどうしても収入を得るまでに時間がかかります。日銭を稼ぐために、収穫した生のハーブを直売所やイベントで販売するのですが、生のハーブってそうそう売れるものではないんですよね。毎日「半分廃棄になりました」という店からの連絡が続いて…。最初の1年は妻とともに本当に心が折れそうな日々を送りました。
お客様の意見を聞き改良を重ね、主力商品が完成
今「森の香」の主力商品となっているハーブティーは、イベントなどに出店して、対面でお客様の話を伺いながら改良を重ね、ようやく1年くらいかけて売れる商品へと成長していったものです。現在は、そのハーブティーと並んで、もうひとつ、銀座にある群馬県アンテナショップ「ぐんまちゃん家」と共同開発した、「ムゲンソルト」──5種類のハーブと自家製にんにくと渋川市産のたまねぎに岩塩を混ぜた調味料なんですが、それも主力商品となっています。会社の体制としては、私と妻と妻の父と僕の母の4人で、ハーブの栽培・収穫から加工品の製造・出荷までを行っています。2020年には、妻の実家の跡地を利用して、「森の香」の全商品が揃うショップも立ち上げることができました。
会社を立ち上げて5年──振り返ってみると、大変なこともありましたけれど、楽しんでいるうちにあっという間にここまできた感じです。設備投資を一気に行わず、少しずつ事業を拡大してきたことも功を奏したと思います。日々自然を相手に体を動かしているので、10キロぐらい自然に痩せて、心身ともに健康になりました。
なにより、毎日妻と4人の子どもたちと揃って夕食を摂ることができるのが、この仕事の本当にいいところだと思います。食卓を囲む家族の顔を眺めるたびに、それを実感しています。
地域の土地を使う職業だから、地域への還元は当然の努め
農家となった今、「渋川市で暮らす人の数を増やすこと」が僕にとっての目標のひとつとなっています。農業は地域の土地を使わせてもらって成立する商売ですから、つねに地域に何かを還元する活動に関っていくというのが僕の信条ですし、自分の子どもたちが育つ環境を考えると、のんびりしてはいられません。この地で育つ子どもたちが「渋川市って楽しくていい場所」と実感できる体験をたくさん重ねれば、やがて市外や県外に出たあとも、再び渋川市に戻り、地元で働いて家族を持つことにつながると思うんです。市外・県外での暮らしを経てから渋川市を見ると、本当に住みやすい街だと僕は実感します。豊かな自然と温和で優しい人々。街も近いし、子育て支援政策も手厚い。そのあたりの魅力をもっとアピ―ルしていけたらと思います。
最近では、仲間たちと無人駅のJR敷島駅前でマルシェを行ったり、地域の子どもたちを集めて芋ほり大会をしたりして、渋川市の内外から人を呼び込み、楽しい場を創って提供することに積極的に取り組んでいます。仲間たちは皆、渋川市を楽しくするためには力を惜しまない人ばかりで、僕もいつも刺激やパワーをもらっています。
僕たちの取り組みが成果となって表れるのは、10年も20年も先のことだと思います。いつの日かその成果を実感できる日がきたらこんなに嬉しいことはありません。これからも微力ながら、愛する渋川市をよりいっそう楽しい街にするためのチャレンジを、精いっぱい続けていきたいと思います。
writer:笠井峰子、取材:2022年10月
Profile
荒井良明さん
渋川市赤城町生まれ。群馬高専を卒業後、埼玉県のIT関連会社に11年間勤務。渋川市に帰省し、地元を本拠とする農産物及び農業資材の販売会社に8年間勤務後、農業法人「森の香」を立ち上げる。明るいキャラクターと明晰な分析力、高い行動力で渋川市のにぎわいを創出する。
掲載日 令和4年12月16日
更新日 令和6年1月18日
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